「自分は死なないと思っているヒトへ」を読んで

 養老孟子の「自分は死なないと思っているヒトへ」を読んだ。

 実際、人は自分は死なないと思っているんではないかと思う。ホームページの掲示板“九州の山 情報交換会議室”で“散骨”の話題が上ったとき、山への散骨に猛反対、それも有無を言わせぬ反対論ばかりだった記憶がある。

 一方、私は自称、信心深い仏教徒であるし、どちらかといえば、人に迷惑が掛からないのであれば、山で死にたいと思っているのである。なぜ、死に場所が山なのか。別に山でなくても良いのであるが、病院を避けるには山が良いのかもしれない。

 この本で、養老孟子は何を言っているか。自分なりに要約すると、人は自分の生活の場を自然の偶然性から隔離して自分の意思を実現するために、都市を作ってきた。このことを養老氏は“都市化”とか“脳化”と言っている。要するに生活の場から偶然性を排除して、人は全て合理的に対処する道を志向してきたと言うのである。意思を現実化してきた。だから逆に都市の人間は合理的に対処できない、生老病死、と言った問題を避けてきた。

 昭和30年代まで人はほとんど家で生まれ、家で死んでいたのではないだろうか。生も死も身近にあった。しかし、最近は生も死もほとんど病院と言う通常の生活空間から隔絶された空間で処置されている。

 父は胃がんで入院、退院を2度繰り返して病院で死んだ。死ぬ前日に「今から家に帰りたい」と言った。しかし、当然、それは実現できなかった。今では、家で死ぬことは非常な贅沢なのである。人は流れ作業台の上の製品のように病院から火葬場に運ばれて人生を終わるしかないのである。それでなければ、事故で工場か、道路上で死ぬか、しかないのである。

 父の死を見て、病院は死ぬ場所ではないと思った。一見、清潔そうに見える病院であるが、夜になるとゴキブリが這いずり回っていた。父の死の数日前に病室に泊まった。死の近い父の体の上をゴキブリが這いずり回っていた。ゴキブリは父が既に払いのける力も無い事を知っているようであった。病院がこんな状態とは知らず、父に非常に申し訳ないことをしたと思った。

 自分の生き方の一部として死に方も考えるべきである。常に死ぬことを考えるのが武士なら、普通の人は常にとは言わないが、時々は死ぬ時のことを考えた方がよいと思う。だから、私は山で死ぬか、家の仏間で死にたいと考えている。

 ついでに墓の問題であるが、これだけ労働者の流動化が進むと誰が墓の面倒を見るのか。私の島根の山の墓の面倒を子供に見させようとしても無理であろう。それなら散骨しか無いではないか。だから山に散骨して何が悪い。悪いと言うなら自分の死に方を考えろ。人の人骨が忌み嫌うべきものなら、お前の体を火葬にするのも止めろと言いたい。お前の体が燃焼して出来た水蒸気や二酸化炭素や窒素酸化物が世界中に撒き散らされるからである。要するに火葬も散骨も自分の体が分解して世界に撒き散らされる点では同じなのである。

 正月早々目出度い話ではないが、大切な話である。夕飯を食べながら、娘に先祖の墓の面倒を見てくれといったら、自分は女だからと言った。男女平等の話をしておいた。

 安倍も日本経団連の御手洗も国旗とか国家とか、美しい日本とか、抽象的でくだらないことを言うが、本当に日本の文化、伝統を大切にしたいと思うのなら、地方を大切にして、先祖を大切に見守れる社会にしろ。こいつら言ってることと、やってることが違ってる。日本の良さを潰して、日本を歴史も文化・伝統も無いアメリカ化しようとしているのが、こいつらである。

 人生なんて短いと最近、感じるようになった。年だと思う。気が付いたらよちよち歩き。よく言えば、柔道のすり足か。

 日本がろくでもない方向に進んでいる。無力感。

 (2007年1月1日記)